教室紹介

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教室の沿革

東北大学における脳神経診療の黎明期

 東北大学における脳神経外科診療・手術の歴史は、山形仲藝教授に始まる(1888〜1918年)。山形は、1888(明治21)年に第二高等中学校医学部長として着任し宮城病院院長を兼務し、東北帝国大学医科大学の初代学長を務めた。山形は、1901年6月28日発刊の東北医学会会報に「癲癇症に於せる穿顱術の実験三例」を報告した。1902年には第四回日本外科学会雑誌に「穿顱術ヲ施行セル癲癇患者八例ニ就イテ」と題する論文を発表した。
 東北大学の初代耳鼻科教授和田徳次郎は、1916(大正5)年に「脳下垂体腫瘍ノ手術ニ就テ」と題して本邦初の経蝶形骨洞手術の成功例を報告した。
 山形の跡を継いだ関口蕃樹教授(1918〜41年)は、1926年に第27回日本外科学会総会にて「脳下垂体腫瘍手術治療例並びにその病理組織学的所見」を発表した。これは、1925年に実施された開頭術による下垂体腫瘍摘出の本邦初の成功例と思われる。
 関口門下の桂重次は、ドイツのWilhelm Tönnis教授の元に留学して脳神経外科学を修め、1938年にドイツから帰国後、金沢医科大学(現金沢大学)第一外科教授に就任して脳神経外科手術を精力的に行った。桂はその後東北帝国大学に教授として赴任し(1941〜63年)、就任の特別講演において「脳腫瘍ノ診断ト外科的治療」を報告している。

東北大学脳神経外科の誕生から現在

 桂門下の鈴木二郎は、1964年に東北大学医学部助教授に就任し、同年9月1日に東北大学医学部附属病院長町分院である広南病院において、高久晃、堀重昭と共に脳神経外科診療を開始した。1965年には広南病院に医学部付属脳疾患研究施設が設置され、1967年には東北大学医学部に脳神経外科が診療科として誕生した。同年、鈴木は東北大学医学部脳疾患研究施設脳腫瘍部門教授に就任した(1983年に脳腫瘍部門を脳神経外科部門に改称)。1969年、鈴木及び高久がArch Neurologyにmoyamoya diseaseと題する論文を掲載し、以後moyamoya diseaseの疾患名は世界中で用いられるようになった。鈴木は1986年に脳動脈瘤直達術2000例を達成し、1987年には脳卒中の外科国際シンポジウムを仙台で開催し、Heifetz、Pia、Narendan、Drake、Bucy、Samii、Spetzlerなど、世界中から著明な脳神経外科が広南病院を見学に訪れた。


 1988年、鈴木門下の吉本高志が第二代教授に就任し、1994年には脳神経外科が正式に講座となった。吉本は、1991年に関連施設である古川星陵病院においてガンマナイフを開始し、また大学に脳血管内治療の講座を新設するなど、今日のサブスペシャルティ別の診療・教育体制を確立した。東北大学付属病院長、医学部長を経て、2002年から2006年まで東北大学総長を務めた。東北大学総長時代、東北大学の法人化を行うとともに任意団体であった日本脳神経外科学会の法人化を行い、初代理事長を務めた。東北大学退任後も、独立行政法人大学入試センター理事長、文部科学省参与等を歴任し、2018年に瑞宝大綬章を受章した。
 2003年、吉本門下の冨永悌二が第三代教授に就任した。冨永は2011年にmoyamoya diseaseの疾患感受性遺伝子としてRNF213を小児科呉繁夫教授のグループとともに初めて報告するとともに、バイパス手術後の過灌流現象を見いだして体系的な臨床研究を行った。脳神経外科領域において産学連携を推し進め、脳外科手術におけるウォータージェットメスの開発、脳動脈瘤における数値流体力学の応用、脳腫瘍に対する新規薬物送達法の開発、脳梗塞に対する幹細胞治療などの研究を実施した。2019年から東北大学病院長としてスマートホスピタル構想に着手し、Covid-19パンデミックに対して自治体と連携した積極的な対応を行った。2024年から東北大学総長に就任し、東北大学の国際研究卓越大学の初認定に貢献した。
 2023年、冨永門下の遠藤英徳が第四代教授に就任し、現在に至っている。
(参考資料:実生会年鑑・日本脳神経外科学会正史)

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